年を重ねる事に対して積極的な思いを持てること

本来ならば年を重ねて老化と聞くと体力が衰え、しわが増えて悲惨で暗いイメージがありますが、その中でも私個人的に明るい材料を見出したのです。それは近視の度数が軽くなり、学生時代のビン底眼鏡から脱皮できたことはとてもうれしいです。

確かに10代の時は年々視力がどんどん落ちて眼鏡の度数がきつくなり、周りの人たちからもその事をたびたび指摘されてとてもみじめな思いをしました。
とにかく毎年、小学校の時から学校での視力検査は本当に嫌で、視力検査の日はほんとうに学校を休みたいとさえ思いました。しかし大学を卒業して社会人になってからコンタクトレンズを作り直すたびに、近視の度数が軽くなっていきました。

眼科の先生にも「近視がだんだん軽くなっている」と言葉にもとても励まされました。
そして20代後半には学生時代に使用していた眼鏡は本当にきつくてくらくらして、とてもかけていることができなくなりました。眼科の先生にも「この眼鏡は度数は全然合っていないので、もはや使用することはできない」と言われました。

そこで私は喜びに満ちた心をもって、高い出費も気にすることなくこの上ない幸福感を感じつつ眼鏡を新調しました。
出来上がった眼鏡をよく見てみると、学生時代の度数よりは格段と弱いです。
その時には1.0に合わせましたが、学生時代ならば恐らくその眼鏡をかけても0.3前後ぐらいしか見えていなかったと思います。
その後も少しずつですが、少しずつ近視の度数が弱くなっています。

そして40代の前半の時に入院して時折眼鏡をかけていましたが、同室の人に「眼鏡をかけているのは老眼のせいなの?」と聞かれたことがとてもうれしかったのです。確かに老眼といえば老化を象徴していて聞こえが悪いかもしれないが、私としてはその言葉がとてもうれしかったのです。

別の見方をすれば、目がそこまで悪そうな印象を与えなかったと良い方向に捉えることもできます。
その時にはすでにビン底眼鏡から脱出できて、周りの人たちからもそんなに度数はきつそうな眼鏡ではないと言われます。
学生時代にあれほどきつそうな眼鏡だと言われていたことが信じられないぐらいです。

この出来事を通して、年を重ねるのはそんなにまでいいことなのか、とつくづく感じることができました。
そういえば40歳に誕生日の直後にまた新しい眼鏡を作りましたが、20代後半の時よりもさらに度数が弱くなり、学生時代には度数が-5を超えていてあわや強度近視の手前でしたが、40歳の時には-3以下になり、中等度と軽度近視の境目まで度数が軽くなりました。

そこまで近視の度数が軽くなったのはほんとうにうれしく、変な話ですが年を重ねることにおいてとてもうれしく感じて、年に1回の誕生日がむしろ待ち遠しい気持ちにさえなります。

周りの人たちにもそのような考え方は積極的で前向きだと言われます。
年を重ねることは体力の衰えのイメージが一番大きいですが、年を重ねても運動をして規則正しい生活をしておれば、体力の衰えはある程度防ぐことができると極めて楽観的に考えています。

思い返してみると、学生時代は目を使うことが多かったこともあり、本当によく目が疲れて目薬が手放せない時もあって体力を消耗して学校から帰ると良く寝込みました。

しかし社会人になってからは目の疲れを感じることがなくなったこともあり、学生時代よりもむしろ体力が向上したと感じるようになりました。
それどころか50歳を過ぎた今の方が、学生時代よりも体力は上だと自覚しています。
裸眼視力においては学生時代と極端な変化はないが、ただ眼鏡の度数が学生時代のおよそ半分ぐらいまでにゆるくなったことが大きいのではないかと思っています。

学生時代は視力においては非常にコンプレックスを感じていましたが、このようなコンプレックスから解消されつつあることを思うと、老化に対してもそれほどまでに悲惨な思いをしなくてすむのは大きな自慢材料であると強く信じています。